体質改善・デトックスで体調不良のお悩み解消!ベジタリアンで自然にダイエット/ハーモニック通信 |
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ここでの生活は本当に健康的で、こころも癒され、思いっきり自由で・・・・。 地球にも、体にも、こころにもやさしくて温かい理想的な『エコロジカルなライフスタイル』でした。 ところがある日、耳にしたラジオから聞こえてきたのは、残酷な殺人事件のニュースでした。 それはポカポカと陽のあたる縁側に座って、タンポポコ−ヒーを作るためにタンポポの根っ子を干している時でした。 テレビも見ず、新聞も読まない生活を続けていたため、今現実に起きていることがまるで分からなくなっていたのです。 この時、私たちがどんなに幸福な時を過ごそうとも、世の中はまるで変わらないことを悟りました。変わるどころか、ますます悪化し、すさんでいるように見えました。 戦争、殺人、犯罪、自殺、いじめ、引きこもり、病気 etc・・・・。 私の目に映る社会は全て『カゴの中のトリ』に見えたのです。 それはまるで人間の本質(子どものように純粋で素直なこころ)が封鎖され、自由を求めて悲鳴を上げているようにも見えました。 一方、私たちの幸福だと思い込んでいた田舎暮らしも、ただの自己満足だったことに気付いたのです。同時にそれは見たくないものを、ただ見ないように避けてきただけの、自分達の姿を知ることでした。 そして『私は何のために生まれてきたんだろう・・・何故、今ここでタンポポの根っ子を干しているんだろう・・・一体なにをするために???』
私がまだ20歳の頃、自立した女性に憧れ、当時28歳の若さでステンドグラスとサンドブラストの世界で一人で独立していた女性に弟子入りをしたこと・・・。植木職人であり、占術家だった祖父の後を継ぎ、中国占星術「算命学」を学び、師範を目指していたこと・・・・。 どんなに考えても、本当だったら私は今ここにいないし、間違ってもタンポポの根っ子は干していなかったはず・・・。
『そうだ!!』 そもそもの始まりは、目の前で楽しそうに薪を割っているこの人・・・『運命のパートナー(ソウルメイト)』との出会いによってスタートしたことを思い出しました。 この運命の人との出会い・・・それはこんな風にはじまったのです。 ********************************************** 平成6年のある夜、私は夢を見ました。 その夢は、なつかしい人から電話がかかってくる夢で、名前も顔も思い出せないけれど、若い男性で確かに知っている人でした。 その夢は、これから起きることを予感させるような不思議な感じのする夢でした。 そして1週間後にそれは起きたのです・・・。 何年か前に会ったことのある若い男性で、当時20代前半にもかかわらずバリバリ仕事をこなす青年実業家といった感じで、優雅に派手に暮らしていた印象でした。名前も顔もうろ覚えだけど確かに知っていて、なつかしい人からの電話でした。
結婚相手となる彼だったのです。 彼と出会ってからの私は、とてもたくさんの出来事がありました。 決定的だったのは、貧乏になったことと豊かになったことのふたつでした。 “貧乏”と“豊か”は対極にあるけれど、実はほんの少ししか離れていないところにあって、貧乏生活をしたおかげで色々なことが見えてきたのです。 当時の彼は、何年か前に会った印象とは程遠く、環境問題と健康問題に深い関心を持っていて、友人たちと市民団体を発足し、講演活動を行っていました。 仕事も昼間は大型トラックのドライバーをやりながら、空いた時間を利用して『グリーンコンシューマ(今で言うロハスコンシューマ)』作りに専念していました。 なぜあんなにリッチで派手な印象だった彼が、地球や健康を語っているのか、はじめはとまどいを感じましたが、経済で成功した彼は経済に強い魅力を感じてはいたものの、ただ物質を求めて派手な暮らしをしてみてもこころは満たされず、また世界の貧困の現状を知ると経済を素直に受け入れられず、昔のような感覚で経済活動が出来なくなっていたといいます。 その結果、当時やっていた仕事もうまくいかなくなり、かなりの借金を作っていました。 私はというと、彼と出会った時は、すでにバブル崩壊のあおりを受けて美術館からの仕事が取れなくなってしまったステンドグラスのアトリエを後にし、仕方なくOLに転職していました。 それも彼の活動とは全く対極にある職種・・・農薬販売会社のOLをやっていたのです。
そして彼に『地球や人体に悪影響のある、農薬売りの会社で金なんかもらってほしくない』と言われ、納得した私は仕事も辞め、『グリーンコンシューマ作り』を本格的に手伝うようになっていきました。 2人が付き合うようになってすぐ、実家の近くにアパートを借りて住むことになり、生まれ故郷の東京から私の住む街へ引越してきた彼は、なんと家具や洋服などと一緒に“貧乏”という重い荷物も一緒に運んできたのです・・・。 その借金額にはびっくりしましたが、とりあえず働く場所が少ないこの街で何とか大型トラックに乗り、長距離ドライバーとして働けることになったのですが続いたのは何と1ヶ月・・・・。 お給料をもらったのも、たったの1ヶ月だけでした。 残ったのは市民団体の活動と、環境にやさしい日用品を扱って得る収入がひと月に数万円入るだけでした。 もちろんそれだけで生活するには無理があり、仕事上の行動費すらままならない状態に陥り、さらに借金をしながらの生活に突入していったのです。 しかし、この頃の貧しさはあせりと不安を生み出し、正常な判断力を見失い、やることなすこと全てが裏目に出る一方で、しまいには貧乏生活にどっぷりとのめり込んでいったのです。
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